2002年1月、平和になったカンボジアの首都プノンペンを訪れました。
1975年4月から3年8ヶ月間カンボジアを支配したポル・ポト政権は、
都市の住民を農村へ強制移住させ、全国で虐殺が繰り返され、数百万人が犠牲になったと言われています。
さらに、市場や通貨の廃止、学校教育の廃止、宗教活動の禁止、人民公社による集団生活、
親と子の隔離など、極端な共産主義化を行いました。
虐殺されたのはほとんどが一般の罪のない市民でした。
私たちは写真を撮るかどうか悩みました。そして、撮る事にしました。
事実をありのまま記録しようと思ったからです。
一部、ショッキングな画像がありますが、ご了承ください。
キリング・フィールド
プノンペンから12kmのチュンエク村には当時の処刑場があり、
遺体は村内の129箇所に埋められていたそうです。
現在、遺骨が安置された慰霊塔が建てられています。
頭部は年齢ごとに分けられ、射殺や撲殺された人が多いと言う事です。
中には、子供、幼児の遺骨もあります。
親への見せしめのために、目の前で子供の頭部を木の幹へ叩きつけ、殺したことも多いと聞きました。
下写真の穴には166体の遺体が埋められ、全て頭部が切り落とされていたそうです。
そして、同じような穴が一定の間隔で川沿いに続いています。
まだ多くの遺体が土中に眠っているそうです。
地面をじっくり見てみると、人骨の破片と思われる、つめ程度の大きさのものが
無数に散らばっていました。

トゥール・スレン博物館
反革命分子とみなされた人々は全国に多数作られた刑務所に送られ、拷問のすえ虐殺されました。
この、トゥール・スレン博物館は、当時、「S21」と呼ばれた刑務所で、ポル・ポト政権前は高校の校舎でした。
現在は、ポル・ポト派の残虐な行為を後世に伝える博物館として、一般に公開されています。
4棟からなる刑務所で正面から向かって一番左がA棟です。
A棟は尋問室でむき出しになった鉄のベットと鉄の鎖だけが置かれています。
このベットに寝かされ、手足は鎖でつながれ、さまざまな拷問が行われました。
床には当時の血痕が、今でも無数に残っています。
C棟の1階と2階は狭い独房が続いています。
このように窓がふさがれ真っ暗な中、ほとんど食事は与えられず、
排泄物は壁に空けた小さな穴から外へ流していたそうです。
3階は雑居房ですが、気持ちがめいって、見に上がることはできませんでした。
B棟は収容された人々の顔写真が壁一面に貼られています。
記録にあるだけで2万人が収容されそのうち生き残れたのは、たった6人だけでした。
D棟には拷問の様子を描いた多くの絵や拷問に使った道具が展示されています。
直径1メートルほどの大きな水がめが置かれています。
当時、汚物でいっぱいに満たし、上から逆さ吊りされた収容者の頭をその中に何度も突っ込み、
窒息死させたということです。
出口には頭蓋骨でできたカンボジアの地図が展示されています。
近寄って見ると、多くの頭蓋骨には陥没した穴がありました。

